こんにちは、さくらです。

最近、ニュースを見ている中で子育てが辛くて
我が子の命を奪ってしまうというものがいくつかありました。

何も悩まずに子育てし成人できた家庭ってあるのでしょうかねー。

その悩みの大きさ、感じ方はそれぞれですし、
同じような悩みを抱えていてもサポートしてくれる家族、行政など
取り巻く環境によってママの負担も違いますし
比べられないものであり、当事者でないとわからないものがありますね。

なので簡単に意見をここで述べることはできません。


が、その中で、私が気になった言葉があったのでそれについてだけ、
今日はここで書きたいと思います。

我が子の癇癪、不登校に悩んでいて命を奪ってしまったお母さんのニュースの中で
「悩んでいたけど、お子さんは最近登校できるようになっていた」

というフレーズがありました。

そこだけを見れば
不登校や癇癪で悩んでいたけど、
登校できるようになったのなら別の問題があったのかな?
何に悩んでいたのかしら?と思うかもしれません。

でも、私はこの
「登校できる」がどんな風に、誰の意思で登校できていたのかが
重要だと思うのです。

もちろん、不登校で悩んでいたお子さんが
登校できるようになったのならば良いことなのかもしれません。
ですが本人は辛いのに、行きたくないのに
無理に登校を促すことで母子関係も辛くなっていたり
帰宅したお子さんがストレスで癇癪が酷くなっていたとしたら
それは不登校よりも辛かったのではないかなーと思います。
学校に行かせないととお母さんにもプレッシャーがあったとしたら
とても辛く負担だっただろうなぁと思います。

我が家の事で言えば
登校できるのか?休むのか?
登校したけど学校で頑張りすぎていて
帰宅した後に反動で癇癪を起されていた時期が
辛かったですし母子でダメージが大きかったと思います。
明日は登校できるのかな、
登校できないのは私の躾のせいなのかな、
そんなことを考える時間がとても負担でした。

完全に不登校となっている今、
フリースクールに顔を出せているとはいえ
不安や悩み、将来どうなるのかな…という心配は変わりありませんが
登校させないと!!と追い込まれ泣く泣く我が子を学校に連れていく辛さや
辛いことがあるから行けないのに無理に登校し
心身が悲鳴を上げている我が子を目の当たりにすることは亡くなりました。

なので、このニュースを見た時に
見出し部分の大きな文字で
「登校できるようになっていたのに…」

というのが目に入った時、
「いやいや、登校できるかどうかより
本人が楽しんでいけるようになったのか
不登校の原因が無くなって自分から行けるようになったのかが大事なんじゃないかな」

と心の中でモヤモヤとした感情が出てきたのでした。

どんなことがあっても命を奪う行為を
良いということはできません
でもこのニュースにでてきたお母さんの心の底からの想いを
丁寧に聞いてあげて寄り添ってあげてほしいと
心から思ったのでした。

読んでくださりありがとうございました。

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登校できるかできないか